3つのはいとイエス😭 (海老澤武SAA)
私、海老澤武が東京三鷹ロータリークラブ第39期に入会し、その後に起きた「3つのはいとイエス」の出来事(笑)が有ります。今日はその内の1つの出来事をお話ししましょう。
その昔々ですが(笑)、私は、第43期となる宍戸・関根年度SAAに就任しました(と言うよりも、就任させられました。笑)。宍戸・関根年度は2010年7月1日から始まりましたが、ちょうどこの年4月、私は三鷹市消防団第3分団分団長に就任していたのです。当時は「鬼の分団長」として分団員らに対する厳しい訓練を指導したり、分団員らに消防団員として日常生活上の清廉な(笑)行動や心構えを、自らが手本(笑)となって、誠に厳しく教えなければなりませんでした(笑)。
そうした中、宍戸幸四郎会長エレクト(第43期開始前です。現在、東京井の頭ロータリークラブ会員です。笑)から「第43期SAA就任」のお声が掛かりました。当時「分団長の任期が終わるまでは、とても出来ません。」と言って、いったんは丁重にお断りしたのです。ところが宍戸会長エレクト(未だ年度開始前ですから会長エレクトです。笑)におかれては、優しく微笑みながら「うるさい、馬鹿野郎。俺が決めたんだ、いいから引き受けろ。」との仰せで、果敢な抵抗も虚しく、反射的に「はっ、はい。」と口走ってしまい、あっさり決められてしまいました😭。有無を言わさずでした(笑)。「古き良き時代であった。」とでも言うのでしょうか(笑笑)。
こうして「分団長とSAA」という二足の草鞋を履く中、2011年3月11日、あの東日本大震災が起こります。東北地方各地で多くの消防団仲間も亡くなったり、消火活動や災害救助など、震災前には予想もできない程の辛い経験をしました。被害者の方々も余りに多く、なんと「消防団年金」も破綻してしまう状況でした。余震も続いており、万が一の事態発生に備え、お彼岸が過ぎる2011年3月末日頃まで、常に消防団作業着を身に着け、無線機を持って、寝食を余儀なくされる状況でした。
東京三鷹ロータリークラブでは、第43期SAAを経て、第44期クラブ管理運営委員会親睦担当副委員長、第45期クラブ管理運営委員会プログラム担当委員長補佐(副幹事)、第46期幹事(このときの会長は、ちゃりんこガバナーとして有名な、あの、前年度ガバナーの宮崎陽市郎会員でした。笑)をやらされ、その後、なんやかやと毎年理事もやらされ、ついでに国際ロータリー第2750地区へも出向させられ、あろう事かクラブ創立50周年となる第50期会長まで押し付けられて、もとえ、仰せ付けられてしまったのです(泣笑)。ロータリークラブでの無理難題、無茶振りは、まだまだ数え切れません。
今年度は14年ぶりにSAAに就任し、みなさまにご協力いただきながら、なんとかSAAの職務をこなしています(笑)。「仏のSAA」🧝🏻♀️と呼んでいただけたら、とても嬉しいです(苦笑)。
今日10月29日、東京三鷹ロータリークラブが今年度ホストクラブである「三鷹奉仕四団体合同例会」も盛況のうちに終えることができ、SAAとしてほっと胸を撫でおろしています。みなさま、今日はありがとうございました。
2024-25年度SAA 海老澤武